vol.01山口京子さん
1981年移住/東京都出身/製陶業
移住後36年。この地で陶器を作りたいとやってきて以来、
おだやかに暮らしてきたと話す山口さん。とにかく本土より住みやすいといいます。
地域を盛り上げたいと、島の有志で立ち上げた共同売店の責任者も務め、
工房と店を行ったり来たりする多忙な毎日です。
移住にあたって
移住のきっかけ
もともと茨城で陶器の制作をしていて、次は沖縄で陶器の仕事をやってみたいと思っていました。与那国には友だちがいて、会いに来てみたらこちらが気に入りまして、夫とともに移住することにしたのです。
移住する前に不安だったこと
不安は特にありませんでした。
今振り返れば、おだやかに生活できた36年間だったと思います。
住まいや仕事の探し方
移住当初はサトウキビの仕事をしていて、畑の持ち主が家も貸してくれて、住んでいました。そこで子どもが生まれ、子育てもしていましたが、その後は自分たちで家を建て住んでいます。
移住後の生活について
移住して変わったこと
移住して一番変わったのは、与那国で子どもができたことです。1982年に男の子が、84年にも男の子が、96年には女の子が生まれました。長男は独立して石垣で焼物を、次男も関東で焼物をやっています。
移住して苦労したこと
苦労というほどではありませんが、こちらでは借家に住んで、サトウキビの仕事、子育てなど、生活を一から始めた感があります。あと、台風には苦しめられました。せっかく建てた煙突が暴風でバタンと倒されたこともありました。
移住して良かったこと
ほっとする場所
自然環境や人はすばらしいです。90歳になる母が関東に住んでおり、3ヵ月に一度くらい会いに行きますが、与那国に帰ってくるとほっとします。とにかく本土より住みやすいことは確かですね。
子育てについて
子ども3人を育ててきて、子育て環境もとても良いと思っています。
ただし、島には高校がないので中学を卒業すると進学のため島外に出るのが普通です。うちは那覇の高校に通わせましたが、仕送りはかなり負担になりましたね。
現在のお仕事について
メインの仕事はあくまでも陶器ですが、共同売店の運営委員長もやっています。
店は地域を盛り上げようと有志が立ち上げたもので、運営を比川自治公民館より任せられています。店ができる前は、車の運転ができないお年寄りは遠くまで行けないので買い物を頼まれたりしていました。そういう方が買い物に困らないようにがんばっています。
与那国島の魅力について
中央志向ではないところでしょうか。この島のなかで暮らしが完結するというか。近年はインターネットがあるので、買い物にもあまり困りません。共同売店でも、スーパーなどには置いていない商品をネットで仕入れて、来た人が楽しめるようにしています。